2021-06-14 第204回国会 参議院 内閣委員会 第27号
かつて中国に向けた核ミサイル、メースBの跡地に造られた道場は、基地の跡は永遠に残そう、人類はかつて戦争という愚かなことをしたのだという一つのあかしとしてという考えから、平和記念資料館として整備されています。また、そこには青年部、未来部が編集した都道府県ごとの戦争体験の証言集も置いてあり、戦争体験のつらさや悲惨さとともに、軍が住民をスパイ扱いした事実なども語られていました。
かつて中国に向けた核ミサイル、メースBの跡地に造られた道場は、基地の跡は永遠に残そう、人類はかつて戦争という愚かなことをしたのだという一つのあかしとしてという考えから、平和記念資料館として整備されています。また、そこには青年部、未来部が編集した都道府県ごとの戦争体験の証言集も置いてあり、戦争体験のつらさや悲惨さとともに、軍が住民をスパイ扱いした事実なども語られていました。
私は、那覇基地のすぐそばで生まれましたけれども、当時は、那覇基地にも核弾頭、メースBなど配備をされておりました。誤って発射されて、海中に発射されて、そして米兵が一人犠牲になるという事件もありました。核弾頭つきのミサイルが誤って発射される、もしあれが本当に爆発していたら、今日私はこの世に存在しなかったかもしれない。
そのときに、沖縄の米軍基地には核弾頭も貯蔵され、そして核攻撃ができるメースBも展開し、出撃基地としてベトナム戦争にも出撃をしていた時期ですね。県民の人権はことごとく虫けらのように扱われていた時期ですが、そのときに当時の佐藤首相は、復帰すれば、安保条約の枠内において米軍の基地、施設を使用し、また基地を提供することになるのだから、実質的に変化があるんです、変化するんですと。
この半島はかつて、核弾頭搭載可能なメースB基地がありました。核の恐怖にもさらされていたところです。復帰後は基地は一部返還されましたが、今も、ホワイトビーチに寄港する原潜による核の持ち込みや、あるいは放射能漏れにおびえております。こんな場所に基地をつくるのは正気のさたではない、これが沖縄県の幹部の発言であります。 大臣、やはり県内移設はきっぱり断念すべきだと思いますが、いかがですか。
○西山参考人 要するに、核の問題は、今非常に論争されていますけれども、沖縄に対する核持ち込み、それからいわゆるあのときの艦船寄港の核持ち込み問題、私は、はっきり言って、九一年のブッシュ政権声明、今のヨーロッパ、ベルギーを中心にして戦術核を一斉に撤去の動きです、もうほとんど沖縄に、ましてメースBなんてもう廃止されていますし、B61を今持ってくるなんという、もうそんなことは全く核戦略体系からいって必要ないんですから
あなた方がそんなに、核はないとか言っても、確かにメースBのランチャーは撤去した、だがここは、今僕が指摘をした弾薬庫の施設は残っているのですよ。それを現地調査させますか。
考えてみますと、日本列島には、かつて施政権返還される以前の沖縄に、メースBと呼ばれる初期の巡航ミサイル、地上発射型巡航ミサイルがアジア大陸をにらんで配備されておりました。これはもう既に我々よく知っておるとおり、沖縄返還交渉の中で核抜きのあかしとしてメースBは撤去されました。メースB撤去のあかしとなった国際情勢の背景は、米中の和解、デタントでありました。
しかもその大部分が、特に面積からいえばまさにその米軍基地の半分以上が沖縄県に集中しているということで、もともと沖縄につきましては施政権も返さない占領状態がずっと本土と違って続いたわけですが、その中で間違いなくあすこには核兵器が配備されまして、その部隊がおりまして、またメースBといったような、今で言えば巡航ミサイルということになるわけでありますけれども、そういう核専用のミサイルの基地が四カ所に置かれていたと
しかし、それは実際には確かにメースBは撤去されましたね。しかし、今言った通信施設であるとか核が貯蔵されておったであろう弾薬庫というものは、依然として継続して機能しているわけですね。その疑惑が晴らされていないわけですよ。むしろそれが、今は本土全体、日本全体がそういう基地の態様になりつつあるということです。それについての反論はまたいたしますが……。
要するに、確かに上原委員御指摘のように「核抜き本土並みの沖縄返還」という場合に、単に核弾頭だけを抜けばいい、撤去すればいいということではなくて、これは上原委員よく御承知のことでございますが、当時沖縄には一般的にメースBと言われる核ミサイルが置かれておるということが言われておりまして、したがいまして、核抜きという場合にはその弾頭とかメースBのミサイルそのものだけを撤去するのではなく、メースBであればその
沖縄の米軍基地は、太平洋戦争での戦場化、それに続く長期の米軍占領下で米軍が勝手気ままに安保条約とは全く関係なくつくったものであるが、復帰を実現するために核抜き本土並みという巧みな方法で、表面上当時沖縄に配備されていたメースBなどは撤去したものの、在沖縄米軍基地は復帰後も五・一五メモによって従来どおりの使用条件が取り決められていまして、安保条約、地位協定に基づく基地提供といっても、沖縄の米軍基地の現状
ただ、当時の経緯、それから、その質疑に関連しての佐藤総理大臣のその他の答弁等もごらんいただけばおわかりだと思いますが、これは私から委員に申し上げるのは釈迦に説法でございますが、当時、沖縄返還前に、沖縄にメースBというようなことを言われましたが、核兵器が置かれておるということが一般的に言われておりました。
したがいまして、これはあくまでも沖縄における核兵器の存在というものを前提といたしまして、委員御記憶のように、当時沖縄にはメースBという中距離核ミサイルというものがあるというふうに一般的に言われておりまして、そういう弾頭ミサイルのみならず、そのミサイルを発射するためのランチャー、それからそれ以外のミサイル基地というものを構成するような諸施設、これを全部撤去してくれということが日本政府の立場であった、こういうことを
○山下(新)政府委員 手元に具体的資料を持っておりませんのであれでございますが、私が記憶いたします限りにおきましては、上原先生も十分御承知のとおり、例えばメースBといったようなものが存在したというふうに理解いたしております。
だけれども、核を貯蔵する施設なんというのは、かつてメースBが起きた。メースBの時代と今と全く違いますけれどもね。ただ、違うというのは兵器の質的な発展も違いますから、だからメースBを貯蔵した格納庫以上に今は非常にやっぱり平易なもので貯蔵できる時代にもなっているんじゃないかと思うんですけれども、そういう格納庫を設置することについての事前協議なんというものは当然ないわけでしょう、可能性だけの場合には。
今後もまだふえてまいりますが、残念ながら鶏、豚、最近では大家畜の牛でもそうでございますが、トウモロコシ等あるいはメース等に依存をしている。これはなかなか日本で生産がコスト的に合わない、また収量も低いということもございまして、畜産物の種類がふえる限りはやはり今後も飼料の自給率の低下ということは避けられないわけでございます。
あの沖繩の返還後、メースBの存否につきまして、たしか三木一佐という方が派遣されまして、その国会で問題になったんです、メースBが撤去されているかどうか。それ派遣した例がありますね。ですから、いま、もう非常ないろんな角度から問題が起こっているんです。
それからメースB基地にもありました。それで、これはアメリカのマニュアルではどういう弾丸の種類かといいますと、対戦争地雷、二百八十ミリりゅう弾、ミサイル弾頭、特に超高性能爆薬、それにボムヘッド。このボムヘッドというのは、英英辞典を見られたらわかりますけれども、大体アメリカにおいては原子物質のつく弾頭となっております。
したがいまして、しかし、過去におきましてはメースBあたりの問題で沖繩に核が持ち込まれておりはしないかという、いろいろなそうした御指摘等もあったことも承知をいたしておりまするが、いま先生が御指摘のように、核問題については本当に日本はそうした厳しい政策を推進をいたしておるところでございまするので、私どももメースBの問題のときにもアメリカに照会をし、そういうようなことがあってはならないということで御注意も
重大な関心を持たざるを得ないゆえんだとし、韓国における米軍基地は韓国のためのみならず日本のためにも必要であり、ぜひこれを引きとめる努力をして欲しいこと、沖繩から撤去が伝えられる「メースB」を韓国は受入れる用意があり、アメリカに対してこれをプッシュして欲しいことなど、かなりシリアスな内容を含む見解を提出した。
ただ、もっと具体的に申しまして、沖繩にかつてメースBというのがございました。これは明らかに中国本土に対して照準を定めた一つの抑止力でございましたね。核に対する核の抑止力と私どもは受け取ったわけなんです。メースBは撤去をされました。
○山中国務大臣 沖繩のメースBはやはり古くなりまして、確かにあれは、中国の開発というもので、とてもああいうしろものを置いてみたところでしょうがないということで、メースBについては、そういう意味で下がったんだろうと私は思います。しかし、後背地のテニアンあたりに展開される基地は、はたしてメースBの撤去とどういう関係になるのか。